教員の研究

教員インタビュー

世界経済論担当 正木響先生

寒河江雅彦教授

Q はじめに、研究者の道を志されることとなったきっかけについて教えてください?

大学生の時に、途上国の貧困問題や先進国の社会問題を論じるジャーナリストになりたいと思っていました。今から思えば、肩に力が入った頭でっかちな学生だったと思います。マスコミ業界の入社試験を手当たり次第受けたのですが、全く思うようになりませんでした。悶々とする中で、偶然、国際協力分野のエキスパートを育成することをミッションに掲げた新しいタイプの大学院が創設されるという新聞記事に目がとまり、その大学院に進学することを決めました。そして、たまたまその大学院在学中に奨学金をいただけることになり、フランスに留学して帰国したら既に20代後半になっておりました。当時はその年齢で新卒として採用していただける企業を見つけるのは難しく、たまたま大学の掲示板で見つけた大学教員公募にチャレンジしたら、運よく拾っていただき今に至っています。人生は自分の思うようにならないことの方が多いですが、そういう時は運命には逆らわず、「人間万事塞翁が馬」が座右の銘になっております。

Q 先生のご専門についてお話いただけますか。

私の専門は世界経済論になります。具体的には、世界経済の本質や構造、場合によってはその問題などを探究する学問になります。世界経済論という科目は古くからある科目なのですが、学問の専門化・実学志向の高まりとともに、時代遅れの学問と捉えられる向きもあり、世界経済論という科目を持たない大学も増えています。他方で、最近は、学問の専門化が行き過ぎることの弊害も語られるようになり、様々な分野をインクルーシブに捉える世界経済論のような学問の重要性が増していると思います。


そもそも経済という巨大な現象を、金融、財政、消費者行動etc…といった細かい要素に分けて、それぞれで適切に分析できたとしても、それらを単純に統合しただけで全体が見えるかというとそういうものでもないはずなのです。繋がることで新たな相互作用が発生するからです。各要素の繋がりに目を向ける分野も必要なのでないか、というのが世界経済論の存在意義になりますでしょうか。


ちょっと話はずれますが、例えば、現在の主流派経済学では合理的経済人(ホモエコノミクス)が前提となって議論が展開されることが多いのですが、各自が最大の効用を得ようと効率的に行動するようになった結果、全体としてみれば非効率になったり、矛盾が生じたりすることってありませんか?

Q たとえば環境問題などでしょうか。

環境問題は良い事例だと思います。企業や個人にしてみれば、コストや労力をかけずにできるだけ多くの利益や快適な生活を得たいと考えます。しかし、その結果、二酸化炭素や廃棄物処理が杜撰になれば、地球環境が不安定になり、安定したビジネスも快適な生活の維持も困難になります。


同様に、地球上の各アクターが自己の利益を最大限高めようと行動した結果、極端に富める地域とそうでない地域が同時に出現するのだとすれば、それもまた世界全体としてみれば歪な構造が生み出されることになります。そして歪な構造が一度出現すると、それを是正しようとする力が必ずでてきます。例えば、発展途上国から、快適な生活と職を求めて、非合法な手段を用いてでも、先進国に人が殺到するような状況になれば、途上国のみの問題というわけにはいきません。実際、最近、自国を捨てて非合法な手段でヨーロッパに渡る人々が増えています。そしてそうした人々を政治的に利用する国(移民兵器)も出現し、大きな問題となっています。

Q 世界経済の本質や構造といっても、具体的なイメージが掴めないのですが。

私自身は、西アフリカ地域から世界経済を視るというスタンスで研究をしています。西アフリカを通じて世界経済を視ることの意義については、たとえば、日本で、東京にいる人と能登半島に住んでいる人、どちらの方が日本の経済状況を包括的に理解しやすいポジションにあるか?と考えてみるとわかりやすいかもしれません。東京にいる人は、最先端の情報や流行をキャッチしやすいポジションにいますが、東京の経済状況=日本の経済状況と錯覚しがちです。他方、能登地方に住んでいる人は、能登の経済状況=日本の経済状況と錯覚することはまずなく、テレビやインターネットを通じて東京の情報を主体的に入手しようと努力し、それと同時に、自分の周りの経済状況と得られた東京の情報を相対化させることで、「自分の地域の経済問題は、見方によっては東京の繁栄と表裏の関係かもしれない」といったことに気付きやすいポジションにいるといってよいでしょう。それと同じことで、世界の中でもっとも経済水準が低いとされる地域から世界経済を視ることで、より広い範囲で世界経済の構造や問題の所在が理解しやすくなると考えています。

Q 西アフリカから世界経済を視ることの意義は理解できましたが、具体的に取り組まれている研究テーマについてもお話いただけないでしょうか?

大学院時代から取り組んでいる研究テーマは、西アフリカの8カ国が共有するCFAフランという共通通貨に関するものになります。戦後に誕生した最初の共通通貨はユーロだと思っている方が少なくないのですが、アフリカには、1960年代から共通通貨が存在しており、その一つがこの西アフリカのCFAフランになります。共通通貨の導入によって、為替の変動に伴う取引コストが小さくなり、経済圏の拡大によって規模の経済を享受することが可能になり、しいては世界における政治発言力を高められることが期待されます。しかしながら、他方で、異なる経済状況にある国が同じ金融政策をとることを強いられるという不自由さを甘受するという側面を持ちます。まさに、現在、ユーロは、この二つの要素の間で揺れ動いているわけですが、CFAフラン圏でも同様のことが観察されます。まずはこの点について、統計などを用いて分析するということをやっています。

 

 次に、西アフリカ8か国で共有するCFAフランは、実は、第二次世界大戦前にフランスがアフリカの植民地との間で形成したフラン圏が母体となっています。つまり、フランス-アフリカの植民地関係の遺産ともいえます。そしてこのフラン圏をさらに遡ると、19世紀半ばにフランスがこの地域に設立した発券銀行(セネガル銀行)に、さらにその先には、鉄棒、インド産綿布、銅輪、子安貝といった商品通貨に行きつきます。どうしてこんなものが不特定多数の人間の間で通貨として認識されるようになるのかといったメカニズムを考えることは、最近話題のビットコインや仮想通貨を理解することにも通じます。このように通貨を主軸にすえながら、西アフリカ経済と世界経済の関係やその変容について明らかにすることに取り組んでいます。

 

 2004年ぐらいから15年ぐらい細々と続けてきた研究なのですが、西アフリカで貨幣として用いられていたインド産綿布(ギネ)とフランス植民地帝国について論じた論文が、最近、やっとイギリスの学術雑誌に採択されました。ご関心ある方は是非、こちらを読んでみてください。

Q 在外研究のご経験が豊富なようですが、在学研究の魅力を教えてください。

私がライフワークとして選んでしまったテーマが、19・20世紀初頭のフランスおよび仏領西アフリカの公文書を必要とすることから、どうしても在外研究が多くなってしまうのですが、私自身は日本が好きです。以前は、海外のセミナーやミーティングで出会う同じ分野の研究者との交流が楽しみだったのですが、コロナ禍でオンライン化もすすみ、海外に行かなければならない理由も少なくなりました。これからも短期での文献収集調査や国際学会参加は続けますが、日本をベースに英語で書くことに注力したいと思っています。とはいっても、それができるのは若い時の海外経験の蓄積・人脈があるからでもあり、若い人には、是非、積極的に海外に目を向けて欲しいとは思っています。

Q アフリカ経済や世界経済の分野で最近興味を深いと思われる研究テーマを教えてください。

1980年代から2010年ぐらいまで、世界的に経済の自由化が推進され、その流れにうまく乗れたアジア諸国は飛躍的な経済成長を遂げました。社会主義体制下にあった国も、1990年代に入り次々と市場経済を取り入れ、東西冷戦も終結したように見えました。市場メカニズムのおかげで、ユニークな起業家のアイデアを実現するような投資も推進され、新技術が生まれ、世界経済は大きく成長し、対価を支払う経済力さえあれば、便利で効率的な生活ができるようになりました。しかし、それに伴う副作用もないわけではありません。なかでも環境問題と格差が21世紀の大きな課題になると思われます。


21世紀に入り、パンデミックや金融危機などが以前に比べて増えていることからもわかるように、市場経済や資本主義はもともと不安定なシステムで、コロナ禍のような事態では、政府の役割が重要になることも明らかとなりました。とはいっても、かつて存在した社会主義のような体制に戻ることはなく、市場VS政府の対立軸を超えた新しいグローバルな枠組みづくりが求められるでしょう。世界経済論は、そうした枠組みの提案やそれに伴う副作用などを調査・研究し、最善の方法を提示していく学問になるのでないかと思います。具体的なテーマは沢山ありますが、最近、私のゼミの学生が挑戦しているのは、世界規模でのSDGsの推進によって、アフリカの小農が土地を奪われ(ランド・グラブ)、生計手段を失うという現象や、在日ベトナム人技能実習生を巡る諸問題などです。地域・時代を超えて、こうしたテーマを、世界経済論では定量的・定性的に扱っていくと思われます。

Q 話は変わりますが、アフリカ研究を志されたきっかけがあれば、お聞かせください。

昔から社会系の科目が好きで、地図やお金の話に無性にワクワク感を感じる性質でした。私が高校に在学していた1980年代半ばは、エチオピアの飢餓が世界的に注目され、日本でもアフリカに対する関心が急速に高まった時期でもありました。あまりよく覚えていないのですが、そういう背景もあってか、漠然とアフリカに関心を持ったように思います。はじめてアフリカ大陸に足を踏み入れたのは大学3年生の春休みでした。当時はインターネットなどもなく、パリのカルチェラタンの公衆電話から、電話代を気にしながら拙いフランス語でアフリカに電話をかけていろいろ手配をしたことを今でも思い出します。それが原点になりますでしょうか。学生時代のちょっとした経験が将来に繋がるかもしれないということで、学生の皆さんには是非いろんな体験をして欲しいと思います。

Q 最後に、いま経済学を学んでいる学生に向けて、また、これから経済学を学びたいと考えている高校生に向けて、一言をお願いいたします。

経済学は、ヒト・カネといった有限な資源を効率的に動員して、社会が望むさまざまな財やサービスをいかに過不足なく産出・供給するかといったことを科学する学問だと思います。経済学を学ぶことで、制約ある条件下では、ある部門に資源を投じることは、別の部門の産出・供給を諦めることを意味するとか、供給が増えることで価格が下がり、それが想定外のセクターに悪影響を与えてしまうといった関係性に気付くようになります。他方で、そうした合理的な世界とは別に、人間はさまざまなしがらみや慣習にしばられて生きています。したがって経済学の中には、制度、組織、歴史といった分野に目を向ける研究もあります。


世の中にはさまざまな問題や課題が存在します。しかし、特定の問題を解決しようと資源を投じても思うような結果が現れないことは多々あります。たとえば発展途上国の貧困問題解決などはとてもわかりやすい課題なのですが、世界各国の政府やNGOがこぞって支援した結果、当該国の援助吸収能力を超えた援助プロジェクトが乱立し、投じた資源の割には効果が表れない、安い支援物資がむしろ当該国の民間部門を破綻させる、汚職が蔓延するといったことが観察されないわけではありません。つまり、温かい心(Warm hearts)だけでは問題解決どころか、現状をさらに悪化させることもあるわけで、経済学を学ぶことで、社会を適切に視る目、そして冷静な頭脳(Cool heads)を鍛えて欲しいと思います。