地方財政論担当 武田公子教授 インタビュー

武田公子教授
武田公子 地方財政論担当

Q 若い頃より取り組んでこられた研究テーマがあるとうかがっていますが、どういったテーマになりますでしょうか?

 大きな括りでいえばドイツの自治体財政を研究しています。そもそも私が大学院生だった頃は、修士論文ではとにかく外国の歴史研究に取り組めと言われた時代だったのですが、日本が明治維新後に地方制度を作っていく際にプロイセン(後にドイツのひとつの州となる)に学んだという経緯があったので、ドイツを対象に選びました。初めは連邦・州・市町村間の財政関係に関心を持ち、主に財政調整制度という地域間の財政力格差を均す仕組みの導入過程を取り上げ、博士論文もそのテーマで書きました。その後研究対象を現代のドイツに移してからは、どちらかといえば社会保障分野に近いテーマに取り組んでいます。特に、自治体が取り組む対貧困政策や、公的扶助(日本でいう生活保護)受給者の社会的自立・就労支援政策に関心を持つようになりました。

Q なぜそのような研究テーマに関心をもたれたのですか?

 ドイツの自治体財政の構造を調べているうちに、自治体歳出の4分の1近くが生活保護費で占められていることがわかって驚きました。日本の自治体では生活保護費の比率は5%程度にすぎません。また、日本の生活保護はほとんど国の補助金で賄われていますが、ドイツのそれは自治体の一般財源の中で賄われていました。ドイツの自治体は1990年代ごろから、生活保護費の財政負担を軽減するために、受給者の就労支援に積極的に取り組んでいました。受給者を社会保険つき雇用に就かせれば、次に失業しても失業保険の網で受け止められることになり、再び生活保護に戻ることはないという仕組みだったので、就労支援が将来の自治体負担を軽減するという動機づけがあったのです。

その後、2005年に連邦政府レベルで大規模な労働市場改革が行われ、長期失業者に対する雇用政策と生活保護を統合した求職者基礎保障制度が導入されました。この制度は、労働局(日本の仕組みに準えていえばハローワーク)と自治体の福祉事務所を統合した組織によって実施されることになったのですが、その一方で自治体が単独で実施する選択肢(認可自治体モデル)も設けられました。つまり、意欲的な自治体が労働局の手を借りずに独自に雇用政策に取り組む余地ができたのです。これには、前述のように生活保護費負担軽減のために取り組んだ受給者の就労支援の経験がモノを言っている気がします。認可自治体数か所でインタビューしてきましたが、自治体が雇用政策に取り組むのは、地域の経済社会全体に政策責任を負うものとして当然だ、という自信を窺い知ることができ、興味深く思いました。

一方、1年未満の短期失業者に対して失業手当を給付し就職斡旋や職業訓練等を提供するのは連邦の出先機関である労働局が担っています。この層は、斡旋阻害要因がなく、職さえあれば比較的容易に労働市場に戻れる人々であって、この人々に対してはスタンダードなサービスを保障するという意味でも連邦機関である労働局が業務を行う意味があると思います。これに対して求職者基礎保障が対象とするのは1年以上の失業者、つまり低学歴・低資格等の条件不利性をもっていたり、債務や依存症等があって就職活動が難しかったりする人々に対しては、包摂的なケアや見守りを伴った就労支援を行いつつ、ハードルの低い雇用を提供することが有効と思われます。こうした業務は、従来福祉分野の施策を伝統的に担ってきた自治体がむしろ得意とするところなのです。

Q ドイツの地方財政研究から得られた知見のうち、現在の日本に何か参考になるものがあれば教えてください。

 自治体が雇用政策に取り組む傾向、雇用政策をよりローカルなレベルで実施するという傾向は、ドイツだけでなく特にEU諸国では共通してみられるようになってきています。ですが、日本では雇用政策は国がやることだという考え方が未だ強く、例えば労働費という費目は市町村・都道府県ともに0.5%程度です。ただし最近になって都道府県の労働費が1%を超えるようになってきていますし、自治体がジョブカフェを設置する例も出てきました。自治体は雇用政策にもっと積極的に取り組んでもいいのではないかと思います。特に労働市場で不利性を抱える長期失業者に対して、社会的包摂の観点を含む雇用機会の創出に取り組む余地はあるのではないかと思っています。一見、財政問題ではないと思われるかもしれませんが、要は自治体の予算配分の重点をどこに置くかという問題ではあります。

Q 研究者の道を志されることとなったきっかけは?

 私自身は三姉妹の末っ子でして、私だけ大学浪人を認めてもらって、まあ好きなようにやりなさいという親の言葉に甘え、大学入学当時から漠然と大学院進学を選択肢にいれていました。別に実家が裕福だったわけではなく、院生時代は奨学金とバイトで生活し、オシャレもしない日々でした。
4年生の時はちょうどバブル経済のさなかで、周囲の男子学生が「ええところ」に就職を決めるなか、私にはOBからの声掛けもセミナーのハガキも来ず、女子学生は相手にされてないのだなと思いました。均等法よりずっと前の時代でしたから。研究者なら男女の別なく能力を評価してもらえそうだと思って進学を決めました。なぜか子どもの時から「男なんかに負けるもんか」意識が強かったのですね。

Q 2008年に『地域再生をめざして-能登に生きる人々』(自治体研究社)を出版されるなど、日本の過疎地域の問題にも関心をお持ちのようですね。

 05年に本学に赴任しましたが、着任前から金沢に行ったら能登の地域調査をやりたいと考えていました。ドイツの研究はどちらかといえば都市部の貧困問題を扱うものなので、その対極にある農山漁村もやらなければ片手落ちだというわけで。「地域再生」の本を書くにあたって、ご協力いただいたいしかわ自治体問題研究所の方々とかなり頻繁に能登を訪れて、さまざまな活動をしている方々にインタビューをして回りました。能登には里山里海の豊かな自然とそれを活かす人々のなりわい、そのなかで生まれてきた文化があって、本当に素晴らしい地域だと思いました。地域おこしに携わる方々もこうした地域に誇りをもっていて、地域の魅力を何とか外にアピールしようと頑張っておられるのです。しかしいかんせん、過疎高齢化に歯止めがかかっていません。それでもこの地域を持続させるためには何に取り組んだらいいのだろうということを絶えず自問している次第です。
この本を準備していたさなか、07年3月に能登半島地震が起きました。震災でこの地域の過疎化が加速するのではないかという懸念をもち、災害復興のあり方や被災地財政についても研究を進めるようになりました。とはいえ東日本大震災以降は、研究者としてというよりはほとんど一ボランティアとして東北入りしていますが。被害の甚大性に対して私が研究者として役に立てることは限られている気がして。ボランティアとして入ることによって、被災者の方々の生活や生業の状況、復興まちづくりのプロセス等を、むしろ参与観察的に捉えることができるようにも思います。ボランティアとして定点観測している陸前高田市広田地区は、山が海に迫る風景や、半農半漁をベースにした人々の暮らしぶりなど、能登に似ているなと思います。ぜひこの地域の復興を見届けたいと思っています。

Q 2010年より地域政策研究センター長としてもご活躍のようですが。

 地域政策研究センターは、経済学部地域経済情報センターを前身とし、学域再編とともに人文社会科学系の研究を広く連携させようという発想で再編されました。大分類でいえば社会学、経済学、政治学分野を横断し、「地域」を研究対象とする研究者が協力して、地域が抱える多様な問題を研究していこうというものです。さまざまな地域を対象としていきたいと思いますが、まずは能登を中心に各種の調査研究を行っています。地方財政という私の専門分野からすれば、自治体が行うあらゆる政策分野に首を突っ込まざるをえないものですから、こういう地域調査というのは見るもの聞くもの全てが研究の対象となる気がして、勉強になることも多いと思っています。

Q 最後に、金沢大学経済学類生や高校生にむけて一言お願いしたいのですが。

私は、大学受験の一年目は何となくテツガクをやりたいと思って文学部を受け、二年目は役に立つ学問をやりたいと思って経済学部を受けました。入学してみると、経済学は必ずしも直接「役に立つ」学問ではありませんでしたが、これはオトナの学問だなと思うようになりました。経済学を学ぶと世の中のありようがよく見えるようになるということです。一見無関係な事柄の間に関連性を見出し、全体として何がいえるか、どういう傾向があるか、何が争点なのかを見通す力をつけるのが経済学だと思います。その意味ではやがて社会に出ていく自分自身の足固めをする場と考えてもらえれば幸いです。
どうもありがとうございました。

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