海外に出て学んだこと(中国、カンボジア、フィリピン、フィンランド)

海外体験期間
2012年3月(4泊5日) 中国
2013年2月から3月(1ヵ月間) フィリピン
2013年9月(1週間) フィンランド
2013年3月(11日間) カンボジア

1.海外へ行く動機

 もうすぐ、卒業を迎えますが、私は大学2年の3月まで一度も海外を訪れたことはありませんでした。その理由はまず、商業高校出身で普通科の人と比べ英語に苦手意識を持っていたこと、野球部に所属していたのでお金がなく、勉強をしていなかったこと、 最後に、海外に行ったことが無くインセンティブが低かったことの3つに集約されます。

 海外に目を向けるようになったきっかけは、金沢大学が北陸銀行の支援を受けて毎年行っている中国・大連への研修でした。もっとも、当初は「一回くらい海外へ行きたいし、一万円でいけるならラッキー」くらいで、「なぜ海外へ行くのか」という根本的な理由ははっきりしませんでした。

 しかしながら、その答えは中国研修を通じて明らかになっていきました。まず、中国を訪問したメンバーの意識が非常に高く、如何に自分が無知で且つ物事を深く考えてこなかったか、ということを思い知らされました。また、中国の中でも大連という都市は非常に発展していながらも、少し郊外に行けば衛生、治安の状態がよくありません。ここから日本という国がどれほど恵まれた環境にあり、それに甘えてしまい、自ら考えて行動するということをおろそかにしてしまっているかということに気付くことができました。ここから私は自分の本当にやりたいことは何か、また私を取り巻く環境がどうなっているのかということを知るために海外へ行く機会を増加させました。具体的には、大学3年の8月にフィリピンに1か月、その後、フィンランド、カンボジアを約10日ずつ訪問する機会を持ちました。

 つまり、私が言いたいのは、最初の志望動機にこだわりすぎる必要はないということです。もちろん、最初から明確な目的意識を持つことが素晴らしいことは言うまでもありませんが、他方で、明確な理由を探すあまり、足を踏み出すことを躊躇するのであればそれはそれで非常にもったいないと感じます。私の場合は、海外に出ることで。客観的に「自己を知る」ことができ、結果、帰国後に英語や勉強のモチベーションが高まり、次の目標に向けて行動するようになるというステップを辿ることになりました。そうしてだんだんと海外へ行く理由が高次化してきました。語学ができないことを海外に行かない言い訳にしている人は、とりあえず、まずは海外に出てみるべきだと思います。

2.海外での学び

 私の海外での学びは主に3つあり、具体的には「行動することの重要性」、「自分の立ち位置を知ること」、「日本人としての意識」となります。

フィンランドのこどもたち 一つ目の行動することの重要性は、フィンランドに行った時に強く感じました。私は、教育に関心をもっており、卒業後は教育係の大学院に進学する予定ですが、フィンランドへは、「日本には見られない教育現場での工夫を見ること」、「日本の教師との違いを知る」という目的で訪問しました。周知のようにフィンランドは、世界的に教育先進国として位置づけられており、本研修では、フィンランドの就学前教育機関、そして小学校から大学、保健機関、図書館、シュタイナー学校といった諸機関を訪問し、講義が提供されました。私は、この研修を通じて、フィンランドの洗練された教育システムを学ぶのみならず、それを市民がどう評価しているかということについて実際にインタビューする機会を得ることができました。具体的には、子どもたちに意見を聞いたところ、各地で受けた講義では分からなかった「教えあうことは難しいけど楽しい」「他の国の子もいるけど仲は良い」といった教えあいや多様性を重んじる教育システムに対する子どもたちの感想です。また、一般の市民の方に教育に対するイメージをインタビューしたところ、教育機関に対して高い信頼を寄せている意見が多数聞けました。このように、視点が異なる教師・生徒・市民の3者から実際の意見を聞くことで「フィンランドの教育」を考察することができました。このように、本研修期間を通じて、現地のいろいろな人に質問して意見を聞き、講義やインターネットなどでは知ることが難しい「生の意見」を集めるに挑戦しました。最初は話しかけることに臆していましたが、一度やってみるとこうした行動のおもしろさも感じることができました。

 二つ目の「立ち位置を知ること」は、私が語学留学でフィリピンに滞在した時に実感しました。私が宿泊していた寮には日本、台湾、中国、ベトナム、韓国、タイ、インドといったアジアの多くの国から留学生が学びにきていました。また、年齢や職業も小学生から大学院生といった学生から社会人まで様々でした。こうした国、年齢、職業が異なる人々の中で英語を勉強したわけですが、私の英語のレベルは行く前から自分でもわかっていましたが最低レベルでした。小学生なのに英語が私よりできる日本人の子や、同学年でも英語でスピーチを30分する人はたくさんおり、授業中はいつもお荷物状態でした。中には私と同じように授業で苦労しているアジアの人もおり、その中でも韓国の二つ上の友人とは助け合いながらお互いの文化の違いなどを話しあうことができて非常に有益な体験をすることができました。こうした活動が私の日本人の中での立ち位置、世界の中での立ち位置を知る一つのきっかけとなりました。「金沢大学の中では〜」、「石川ないし北陸の大学の中では〜」というせまい枠組みでとどまることなく、常に成長するためにも早く日本・世界のスタンダードを感じることが重要だと認識しました。

 第三に、日本人としての意識です。例えば私が日本で歩いていても、私という人間に対して周囲の人がもつ認識は「私の名前」であり「日本人」が先行して意識されることはめずらしいと思います。しかし、海外では、周りはまずは「日本人」という認識が先行し、その後に「日本人の○○さん」という形になることが多かったです。つまり、海外では、良くも悪くもちょっとした私たちの行動が周囲の人に日本人のイメージを与えることに繋がります。つまり、海外では一人の日本人として我々のモラルやマナーが今まで以上に周囲から見られているということを認識しなければならないということを学びました。

 また、海外に出るとしばしば英語を介して「国境を越えた・国境を意識しない交流」が盛んに行われます。しかしながら、こうした状況では、それぞれの文化性が見えにくくなるからこそ、余計に自分がどんな人であるか、自分の国籍はどこなのかというアイデンティティを示すことが非常に重要な作業になると感じました。実際に海外で、私は友人達の前で日本らしさを表現する機会を持ちましたが、何のスキルも情報も持ち合わせておらず、日本の文化などの良さを伝えることができませんでした。そのとき、「もっと日本を伝えたい、日本のことを知らないといけない」と自覚しました。海外の人に日本の良いところを知ってもらう、グローバルな環境で自分自身のアイデンティティを持つためにも、日本人として自分の国をもっと知る必要があると感じました。(T.F. 4年)

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